大阪市北区の雑居ビル4階にあるクリニックで25人が犠牲になった放火殺人事件で、谷本盛雄容疑者(61)=死亡=は2010年まで大阪市内の板金工場で働いていた。工場には谷本容疑者の詳細な業務日報が残る。事件発生から1カ月。同社社長の男性(78)は丁寧な文字に仕事ぶりや人柄を思い出し、「なんでなんや」との思いが消えない。
谷本容疑者がアルバイトとして採用されたのは02年3月。腕前が認められ、数カ月で正社員になった。
社長は日々、作業員に日報の提出を求め、具体的な作業内容と進み具合を確かめていた。同社に残っていた谷本容疑者の日報は09~10年時のものだった。
A4判のノートの表紙に「谷本」の文字。開くと日付ごとに、行った現場や作業内容、工程が図や寸法も入れて丁寧に記してある。きちょうめんにも思える文字。社長は「谷本のはきれい。私が聞き直さなくてもいいように書いてくれた。なかなかこうはいかない」と言う。
「今日から2月だ がんばるぞ!!」。10年2月の月初めにこう記し、同僚を描いたイラストも添えた。7月の冒頭には「6月分の給料、1日分不足していました!」。翌月への上乗せを求めたようだ。
仕事ぶりは良かった。「『こ…
Source : 社会 – 朝日新聞デジタル